名古屋高等裁判所金沢支部 昭和28年(う)103号 判決 1953年11月12日
控訴人 被告人 堀健洽
弁護人 定塚道雄
検察官 宮崎与清
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲彼八月に処する。但し、此の判決確定の日より参年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は全部これを被告人の負担とする。
被告人に対し公職選挙法第二百五十二条第一項の刑の執行猶予中の期間選挙権及び被選挙権を有しない旨の規定を適用せず。
理由
弁護人定塚道雄の論旨第一点について。
記録を検討するに、原判決は判示冐頭に於て、「被告人は昭和二十七年五月二十五日施行の富山県高岡市市長選挙に際し同年五月五日立候補し、同選挙に当選したものである」旨の事実を認定し、しかも、其の証拠理由中、判示第一乃至第四の各事実については、事実ごとにそれぞれの資料を挙示援用しているにも拘らず、ひとり、敍上冐頭掲記部分のみについては特に証拠として挙示するものがないことは、所論の通りであるけれども、しかしながら、原審の所在地である富山県高岡市及び其の附近に於ては、斯の如き事実は普く一般人に知れ亘つた事柄であつて、所謂公知の事実に属し、敢て証拠の証明力に俟つ迄もなく、裁判所に於て直ちに該事実の存在を肯定し得るところであるから、原判決中判示冐頭掲記部分に対する証拠説明が存しなくとも、これを目して其の理由に不備ありとなすを得ない。論旨は理由がない。
同第二点について。
記録に依れば、原判決は、其の証拠理由中に、早川市右衛門、近藤治郎右衛門、被告人等に対するいずれも検察官作成各供述調書の記載を引用するに当り、これ等各供述調書の標目を列記する方法に従い、概括的にこれを挙示するに止まり、各調書の記載中、如何なる部分を採つて、如何なる事実認定の資料としたものであるかの点につき、別段具体的に判示するところがないことを認め得るが、判文の前後を通読し、其の趣旨とするところを検討すれば、畢竟原審は、これ等の供述中原判示に符合し、若しくは照応する部分を、証拠に採用したものと解するを得べく、事案の内容が比較的に簡単である本件に於ては、此の程度の証拠説明をもつてしても、いずれの証拠によつて、如何なる事実を認定したものであるかを敢て判断し得ない訳ではない。そうして見れば原判決は、証拠の摘示方法に於て、必ずしも正鵠を得たものと為し難いとしても、其の理由に齟齬あるものと認めるを得ない。論旨は理由がない。
同論旨第三点並に第六点、弁護人宮林敏雄の論旨第四点、第五点、第六点について。
記録に徴すれば、本件公訴第三の事実は、「被告人は、選挙に関し投票を得る目的で、昭和二十七年五月二十二日頃公職選挙法所定の間柄でなく且選挙人である別紙第一表記載の、高岡市定塚町千二十一番地牧明方等十八戸及同町内約百三十戸を訪問し、同人等に対し夫々自己に投票しくれたき旨依頼して戸別訪問をなしたるものである」と言うにあるところ、これに対し、原判決は、事実理由第三項に於て「被告人は自己に投票を得る目的で、昭和二十七年五月二十二日頃親族、平素親交の間柄にある知己其の他密接な間柄にある者等法定の除外の場合に該当しない別紙第一表記載の如き牧明等十八名の選挙人を戸別訪問したものである」旨の事実を認定したのみであつて、所論の通り、起訴状掲記高岡市定塚町内約百三十戸に対する戸別訪問の所為については、別段判示するところがないものであることを認め得るけれども、しかしながら、公職選挙法第百三十八条第一項違反の罪は、選挙に関し投票を得る目的をもつて、一人若しくはそれ以上の選挙人に対し、戸別的に訪問を行うことに依つて成立する一個の犯罪であり、従つて、犯罪構成の前提要件として、通常、多數行為の集合を予定する所謂集合犯の類型に属するものであることは、此処に説明する迄もなく、此の種の犯罪を審判するに際し、斯る多数行為の一部を捕捉し、これをもつて一個独立の犯罪行為の成立を認定するに於ては、剰余の行為について重ねて判断を示す必要がないと解すべきであるから、敍上の如く起訴状掲記高岡市定塚町内約百三十戸に対する戸別訪問の所為について、別段の判示するところのなかつた原審の措置は、審判の請求を受けた事実について審判をしなかつたものでないこと勿論である。また、仮令、被告人が、公職選挙法第百三十八条第一項の規定の存在を知らず、若しくは其の解釈を誤つたものであるとしても、法の不知は犯意の成立を阻却するものでないのみならず、原審並当審証拠調の結果を精査しても、被告人が、自己の行為につき、それが法律上許されたものである旨確信していたものであることを認定するに足る資料を見出し難い。所論の如き事情、すなわち、「他の候補者に於ても戸別訪問による選挙運動を展開していたこと、並に、関係当局は候補者の妻の戸別訪問に対してのみ警告を発し、候補者自身の行う戸別訪問については、何等警告するところがなかつたこと等の諸事情」があつたとしても、斯る事実に依つては、被告人に対し法の遵守を期待し得なかつた特別の事情ありとなすを得ない。なお、論旨援用の資料によれば、被告人は、戸別訪問をなすに際し各戸軒先よりも若干外側、厳密に言えば道路上、軒先に接近する部分に位置を占め、運動員より来意を告げられ、玄関に出で来た各戸内の選挙人と、若干の距離を隔てたまま、其の場に於て挨拶を交換したものであつたことを肯認し得ないでもないけれども、斯る所為は、偶々道路を通行中、出合つた者に対し、その機会を利用して立候補の挨拶を為す場合と其の趣きを全く異にし、各戸に就て自ら其の玄関内に立入り戸内の選挙人に対し親しく挨拶すると何等択ぶところなき行為であると言わざるを得ず、従て、被告人の佇立した場所が、各戸軒先より稍外側であつたとしても、これによつて公職選挙法第百三十八条第一項の罪の成立を妨げるものでない。これ等の諸点に対する論旨は、いずれも其の理由がない。
弁護人定塚道雄の論旨第四点、弁護人宮林敏雄の論旨第一点について。
原判決挙示の各証拠、就中、平等良治に対する検察官作成第十二回供述調書、早川市右衛門に対する検察官作成第五回供述調書、被告人に対する検察官作成第二回供述調書の各記載、清算書と題する書面(謄本)(記録第五十丁添付)の記載等を綜合すれば、原判示第一の事実、すなわち、被告人が昭和二十七年五月八日頃肩書居宅に於て、自己に当選を得る目的を以て、自己の選挙運動者である平等良治に対し、選挙運動報酬並に投票取纒等の費用として、自己の選挙運動者である早川市右衛門に供与せられ度き旨依頼の上、現金五万円を寄託して、以てこれを交付したものであることを認定するに十分である。弁護人は、「敍上金五万円の現金は、藤森正亮に於てこれを調達し、同人より平等良治を介し、早川市右衛門にこれを手交したものであつて、被告人の関知するところでない。」旨主張するけれども、この点に関する第十四回公判証人尋問調書中、証人藤森亮の供述記載、原審第十二回及び第十五回公判被告人供述調書中被告人の供述記載、当審第二回公判証人尋問調書中証人早川市右衛門証人藤森正亮の各供述記載、当審第三回公判廷に於ける証人平等良治の供述は、いずれも、一応、前記の主張に副うかの如き趣旨を述べるものでありながら、しかも其の重要な部分に於て互に相矛盾するものであつて、到底これに措信するを得ないのみならず他に右主張を維持すべき資料がない。いま此処に、前記各供述問に存する矛盾の甚しきものの二、三を指摘すれば、(一)原審証人藤森正亮の証言に依るときは、敍上五万円の金員は、藤森正亮に於て、偶々持合わせて居た現金であり、千円札に百円札が混入して居たものであると言うに反し、同証人の当審に於ける供述に依れば、右五万円は、藤森が平等良治に命じ、農業協同組合の会計より支出せしめた金員であつて、千円札を束ねたものであつたと言うにあり、また、(二)同証人の原審公判廷に於ける供述に依れば、前記五万円の支出に対する弁償として、昭和二十七年末頃平等良治より金五万円を受領したと言うに反し、同証人の当審に於ける供述によれば、平等良治より金五万円の弁償を受けたのは、昭和二十七年五月末頃であつたと言うのであり、さらに、(三)同証人の当審に於ける供述によれば、藤森正亮は、早川市右衛門より五万円の供与方を要請された為、同人に対し、平等良治を介し、金五万円を供与したものであると言うに反し、当審に於ける証人早川市右衛門の供述によれば、平等良治より金五万円を受領するに際し、藤森より該金員を供与されるものであることを聞かず、従つて何等その旨を知らず拘置所より出所後はじめて藤森より其の旨聞知したと言うのであり、なお(四)被告人の原審第十五回公判廷に於ける供述に依れば被告人が平等良治に対し金員を交付したのは前後三回であり、五月八日頃金五万円、同月二十七、八日頃金六万円余りをそれぞれ交付し、その外、時期は判明しないが平等より横田部落の選挙事務費を要求された際、金五万円を渡したと言うにあるに反し、当審に於ける証人平等良治の供述に依れば、同人が被告人より金員を受領したのは前後二回であり、五月八日頃金五万円を、同月二十七、八日頃清算の際、金十一万一千六百余円を各受領したと言うにある。検察官の取調べに対する各関係人の供述は、終局に於ていずれもその間矛盾なく符合するに反し(記録によれば、藤森正亮は、検察官に対し、他の関係部分については、十分な供述を為し居ることを認め得るが、この点に関して何等供述を為した形跡を認め得ない。)、これを飜した前記の各供述は、斯の如き幾多の撞着を包含し、これに措信せんとするも、其の由が無いものであると言わざるを得ない。そして見れば、原判決は証拠の価値判断を誤つて事実を誤認したものでない。次に、平等良治、早川市右衛門、被告人等に対する検察官作成供述調書の記載がいずれも任意性を欠くものであるとの主張に関しては、当裁判所の措信せざる敍上原審並に当審に於けるこれ等の者の弁疎を除外すれば、他に斯の如き主張を肯認するに足る資料の存在を見出すことが出来ない。平等良治(原審第二回公判)、早川市右衛門(原審第二回公判)、近藤治郎右衛門(原審第十回公判)等はいずれも原審に証人として出廷し、それぞれこの点に関する証言を拒否したものであることが記録上明白であり、証人として出廷した者が証言を拒否した場合、これ等の者に対する検察官作成の供述調書を証拠に採用することは、刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号の許容するところであるから、同人等に対する検察官作成の供述調書を証拠理由中に引用した原判決は、証拠能力を備えない資料に基いて事実を認定したものでない。(なお、近藤治郎右衛門は原審第十四回公判廷に於ても、此の点につき、「被告人と平等との間に、五月二十七、八日頃被告人方で金員の授受があつたかも知れない。」旨の供述を洩して居るのみであつて、其の他何等の供述をしていないことが記録上明かである。)以上の諸点に関する論旨は総て其の理由がない。
弁護人定塚道雄の論旨第五点、弁護人宮林敏雄の論旨第二点、第三点について。
原判決挙示の各証拠、殊に、被告人に対する検察官作成第二回供述調書の記載、近藤治郎右衛門に対する検察官作成第六回、第十一回、第十三回各供述調書の記載等を綜合すれば、原判示第二の事実、すなわち、被告人が、出納責任者の文書に依る承諾を得ずして、昭和二十七年五月十五日頃より同月二十七日頃に至る迄の間、前後四回に互り、高岡市片原町本光寺又は肩書居宅等に於て自己の選挙運動者である近藤治郎右衛門に対し、選挙運動費として合計金参拾八万円を手交して以て選挙運動に関する支出を為したものであることを肯認するに十分である。前顕各供述調書の記載が、任意性を欠くものでないことについては、既に他の論点に対する判断の部分に於て説示した通りであつて、此処にさらにこれを反覆する要を見ない。近藤治郎右衛門に対する供述調書の記載が任意性を欠くものであることを確認するに足る資料がないことは、其の他の者に対する供述調書の場合と同様である。弁護人は「被告人は、敍上の金員を、選挙運動費に充当する目的で支出したものでなく、株式会社高岡製作所に対し、その経営資金を融通する目的をもつて、当時同社の常務取締役であつた近藤治郎右衛門に対し、これを手交したものである。」旨主張するけれども、しかしながら、この点に関する原審第十四回公判証人尋問調書中証人荒野正治の供述記載は、株式会社高岡製作所の常務取締役である荒野正治が、選挙期間中、被告人に対し、同社給料支払資金の融通方を懇請したことがあると言うに止り、これをもつてしては、到底敍上の認定を左右するに足りないのみならず、原審第十四回公判証人尋問調書中証人近藤治郎右衛門の供述記載、原審第十二回及び第十五回各公判被告人供述調書中被告人の供述記載、殊に、これ等の各供述中弁護人の主張に副うかの如く見える部分は、原判決挙示の証拠と彼比対照の上これを検討すれば、いずれも措信に値しないものであることが明瞭である。すなわち、証拠によれば(一)該金員は、挙げて悉くこれを選挙運動費として費消されたものであつたこと、及び、(二)近藤治郎右衛門は選挙期間の前後を通じ、同会社会計係に対する該金員の速やかなる廻附方につき、何人からも何等の要求若しくは督促を受けたことがなかつたこと等の諸事実が、いずれも明確不動の事実として肯認され得るに反し、敍上原審に於ける近藤治郎右衛門及び被告人の供述によつては、いずれもこの点に関し、人をして首肯せしめるに足る合理的な説明を与えることが出来ず、此の矛盾がこれ等各供述の信馮力を著しく減殺するからである。弁護人は「たとえ、被告人が敍上の金員を、選挙運動資金として、近藤治郎右衛門に手交したものであるとしても、被告人と近藤とは、恰も一身同体の如き関係にあるものであつて、右金員の授受は、公職選挙法第百八十七条第一項に所謂支出に該当しない。」旨主張し、且、論旨援用の資料に依れば、近藤治郎右衛門は被告人の姉婿に当り、平素、被告人と親密なる交際関係を維持して来た者であることを認め得るが、しかしながら、前示原判決挙示の各証拠によれば、近藤は被告人のため選挙運動に従事して居た者であり、被告人より右金員を受領するに際しては、選挙の状勢に応じ、その自由裁量によつて適宜これを支出すべく挙げて、その処分方を一任されたものであつて、決して、被告人の手代りとして、単純に現金の保管のみを司ることを依嘱されたものではなかつたことが明かであり、従つて被告人と近藤治郎右衛門との間に於ける金員の授受は、仮令、近藤が被告人の親戚であり、平素親密なる関係にあつた者であるとしても、公職選挙法第百八十七条第一項に定める「支出」に該当するものであると言わざるを得ない。尤も、証拠によれば、近藤は被告人の選挙運動者中最も有力なる一員であつて、選挙運動を或程度迄総括した者であること、被告人は将来発生すべき個個の選挙費用に備え、近藤に対し、前以て概括的に、一定額の金員を手交して置いたものであつたこと、右手交に際してはいまだ該金員をもつて支払うべき個々の経費が特定するに至つて居なかつたことをそれぞれ認め得ない訳ではないけれどもしかしながら仮令、金員支払の目的が具体的に確定するに至らない場合であつても、それが特定候補者のためにする選挙運動一般の費用として支出されたものである限り、すべて出納責任者の文書に依る承諾を要すると解すべく、これを受領する者が事実上の総括主宰者であると他の運動員であるとによつて、其の解釈を異にする根拠を見出し得ない。原判決が、判示第二の事実につき、支出の目的を具体的に判示していないことは所論の通りであるけれども、敍上の理由により、原判決には何等不備乃至違法の存しないことが明白である。なお、前記の場合、被告人の所為は公職選挙法第百八十七条第一項に触れるに止まり、他の罰条と牴触するものでないから、その個々の所為に対し、所論の如く刑法第五十四条第一項前段を適用すべきでない。そうして見れば、論旨はすべてその理由がない。
弁護人定塚道雄の論旨第七点(但し刑の量定に関する部分を除く)弁護人宮林敏雄の論旨第七点について。
原判決挙示の各証拠、殊に平等良治に対する検察官作成第四回、第六回、第十二回各供述調書の記載、被告人に対する検察官作成第二回供述調書の記載を綜合すれば、原判示第四の事実、すなわち、被告人が平等良治と共謀の上、選挙事務所に於ける飯米に供する目的を以て、法定の除外事由がないにも拘らず、原判示期間内前後十回に互り原判示場所に於て、孰れも米殻の生産者である福田かの外七名から同人等の生産に係る粳玄米合計二十八俵(十一石二斗)を代金十万六千三百二十円にて買受けた事実を肯認するに十分である。平等良治、近藤治郎右衛門並に被告人に対する検察官作成供述調書の記載が任意性を欠くものでないこと、同人等に対する検察官作成各供述調書を証拠に採用した原審の訴訟手続に違法の存しないことは既述の通りである。なお、近藤治郎右衛門は、原審に於て、此の点については、証言を拒否した形跡を認め得ないが、同人の原審に於ける供述は、前記同人に対する検察官作成の供述調書の記載と実質的に相異り、しかも他の論旨について説明したところに依り明かな如く、検察官に対する供述を信用すべき特別の事情があると考えられるから、近藤治郎右衛門に対する検察官作成の供述調書を挙示援用した原審の措置は、何等非難に値するものでない。そうして見れば、原判決は、証拠能力を欠如する資料に基いて、事実を認定したものでない。
弁護人定塚道雄の論旨第八点(量刑に関する部分を除く)について。
本論旨については、同弁護人の論旨第一点乃至第七点について判示したところを此処に引用する。要之、原審の採証措置は毫も刑事訴訟法の規定に違背するものでない。従つて、憲法に牴触するものでないことは此処に詳言する迄もない。論旨は理由がない。
弁護人定塚道雄の量刑に関する論旨について。
記録を精査するに、被告人の本件所為中公職選挙法に違背する部分は、原判示第一の事実を除き、いずれも選挙運動の方式が法定の制限を超えたものであつて、所謂形式犯の部類に属し、比較的に犯情の軽微なもののみであり、また、原判示第一の所為は、所謂買収行為であつて、悪質なものであるけれども、交付された金員の額は、五万円に過ぎず、行為は唯一回存するのみであつて、犯情の著く重いものと言うを得ないのみならず、さらに、食糧管理法に違背する部分は、犯罪の動機が営利の目的に出たものでなく買入れた玄米は、これを悉く選挙事務所に於ける消費に充当したものであつたこと等の諸事実を肯認するに足る。なお、其の他記録に依つて認め得る、被告人が、高岡市民多数の支持によつて獲得した、高岡市長たる其の地位を、本件所為あるがため、やがて喪失するに至るべきこと等をも併せ考えるとき、被告人に対し懲役壱年参年間執行猶予の刑を言渡した原審の量刑は、重きに失し相当でないと思料される。論旨は理由があり、原判決は此の点に於て破棄を免れないものである。
よつて、刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十一条に則り、原判決を破棄した上、同法第四百条に従い次の通り判決する。
原審認定の事実を法律に照すに被告人の判示所為中判示第一の点は公職選挙法第二百二十一条第一項第五号に、判示第二の点は同法第二百四十六条第四号第百八十七条第一項に、判示第三の所為は昭和二十七年八月十六日法律第三百七号附則第四項改正前公職選挙法第百三十八条第一項第二百三十九条第三号に、判示第四の所為は各食糧管理法第九条第一項第三十一条同法施行令第六条刑法第六十条に該当するところ、右各罪の所定刑中判示第一の交付罪につき懲役刑を、判示第二の各無承諾支出の罪につき各禁錮刑を、判示第三の戸別訪問の罪につき禁錮刑を、判示第四の各食糧管理法違反の罪につき各懲役刑をそれぞれ選択し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条第十条に則り最も重い判示第四の別表第二の(2) の食糧管理法違反の刑につき定めた罪に法定の加重をした刑期範囲内に於て、被告人を懲役八月に処すべく、叙上諸般の事情に鑑み、刑の執行を猶予すべき事由ありと認め、刑法第二十五条を適用し此の判決確定の日より参年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用の負担について刑事訴訟法第百八十一条に則り被告人をして其の全部を負担を為さしむべきものとする。なお、情状に因り公職選挙法第二百五十二特第三項に則り同条第一項の刑の執行猶予中の期間選挙権被選挙権を有しない旨の規定を適用しないこととする。
よつて、主文の通り判決する。
(裁判長判事 吉村国作 判事 小山市次 判事 沢田哲夫)
弁護人定塚道雄の控訴趣意
第三点原判決には、審判の請求を受けた事件について判決をしていない違法がある。本件起訴状には公訴事実第三とし「選挙に関し投票を得る目的で同年五月二十二頃公職選挙法所定の間柄でなく且つ選挙人である別紙第一表記載の同市定塚町千二十一番地牧明方等十八戸及同町内約百三十戸を訪問し同人等に対し夫々自已に投票してくれたき旨依頼して戸別訪問をなした」との記載があり、明らかに、牧等十八戸の他に約百三十戸の戸別訪問の事実を起訴して居る。而して、この起訴に対する判決は、「第三、自己に投票を得る目的で、同年五月二十二日頃、親族、平素親交の間柄にある知己その他密接な間柄にある者等法定の除外の場合に該当しない別紙第一表記載の如き牧明等十八名の選挙人を戸別に訪問し」たと判示するのみで残余の百三十戸の起訴に対しては判決の始終を通じて何らの判断をして居らない。右は明かに審判の請求を受けた事件について判決をしなかつたもので、此の点においても原判決は破棄を免れない。
第六点原判決判示第三の事実については事実誤認擬律の錯誤の違法がある。凡そ市長候補自らがした戸別訪問を起訴することは甚だしく妥当でないのである。それが甚だしく妥当でない即ち不当であることは原審立会検察官(捜査検事でもある)鷲田検事の原審公判中において武田儀八郎候補の明白な証拠のある戸別訪問を不起訴となされた行動自体が証明している。鷲田検事は極めて熱心に選挙違反の証拠を集められる方であり、いやしくも証拠が挙つているのに漫然不起訴にするなどということは絶対になさらぬ方である。あくまで起訴する方である。非常な努力を間違いのない証拠集のために費されているのである。然るに、原審証人は挙つて市長候補者武田儀八郎等堀候補以外の他の候補者――競争候補者が戸別訪問に来たことを証言しているのである。即ち原審証人松村しさは(原審第十一回公判調書)「問 証人は本年五月に施行された市長選挙に際し被告人の他に武田、南の候補が立候補したことを知るか、答 知つております選挙中に武田候補は私方へ挨拶に来られました、問 武田候補が証人方へ挨拶に来たというのは何時頃か、答 記憶ありません、問 それではその際武田候補一人で証人方へ来たか、答 武田候補一人であつたか或は他に誰か一諸について来られたのであつたか記憶ありません、問 武田候補は証人方でどの様にして挨拶したか、答 私方玄関へ入つて来て「武田ですよろしく御願いします」といはれたので私は「判りました」というとすぐ帰つて行かれました、問 証人は武田候補と親戚知己の間柄があるか、答 その様な関係は全然ありません、問 武田候補が証人方へ来た時同候補は軒並に戸別訪問していたか、答 私はみておりませんが武田候補が軒並に戸別訪問しておられたということは聞いています」。証人大野政次郎は(同公判調書)「問 その頃証人は武田候補を案内して戸別訪問をしたようなことがあつたか、答 私の知入、同業者らを武田候補と一諸に訪ねたことがありました、問 それは何時頃か、答 日は判然と記憶ありませんがとに角選挙期間中でありました、問 何軒位の戸別訪問をしたか、答 私は市内定塚町に生れましたもので相当の知人があります関係で定塚町その他の五十軒余りの家を二日間で訪問したのであつたと思います」。証人牧明は(原審第五回公判調書)「問 被告人が証人方へ来た当時他の候補者が証人方へ戸別訪問にこなかつたか、答 私が会社へいつている間に武田候補も挨拶に来て行かれたということを母から聞いて知つております、問 証人はその武田候補と知り合いか、答 いゝえ知り合ではありません」。証人石瀬保吉は(原審第六回公判調書)「問 被告人が証人方へ挨拶に来た当時他の武田候補南候補も証人方へこなかつたか、答 堀さんがこられた一日か二日前武田さんが来て堀さんの場合と同じような挨拶をして行かれましたが南さんはこられません」と各証言しているのである。ここに注意すべきことはこれらの証人は、(1) 宣誓した証人であること、(2) 堀健治が戸別訪問に来たことに関し喚問された証人で、その家にたまたま同じく他の候補が戸別訪問に来たのであることに注目すべきであつて、従つて武田氏は堀氏以上に盛に戸別訪問したことが推定される。或は武田氏も南氏も候補者の戸別訪問は差支えないと言う立場で無差別、無制限戸別訪問が行われていたことも推定されるのである。原審第十一回公判における証人安部健作の証言によれば、「問 証人は本件市長選挙の前の県議会議員の選挙の際に候補者自身が知己を問はず戸別訪問していながら処罰を受けなかつたことを知つているか、答 知つております、問 その様な前例があるので証人は候補者自身の戸別訪問は差支えないと思つたのか、答 左様であります」とあつてこの前の県会議員の選挙のときには無差別戸別訪問が行われたことが歴然と窺われる。それで、市長選挙のときにも同じく候補者に限り無差別戸別訪問をしても差支えないと考へた。一般的にさう考へて疑わなかつたのである。さらに同人の証言によると、「問 証人は本年五月施行された市長選挙に際し被告人堀候補の出納責任者をしていたのか、答 左様であります、問 証人は本年五月十七、八日頃に市長選挙に関し高岡市警察へ呼出されたか、答 はい、その頃警察へ呼ばれました、警察からはその日の午前十時迄に出頭するように電話があつたのですが、私は他へ葬式に参らねばなりませんのでその旨警察の係官にいゝましたところ少し位はおくれてもよいとの返事でありましたので用事をすませ昼頃警察の刑事部長室へ行きました、問 証人は刑事部長室へ行く前に野崎捜査課長の方へ行つたのではないか、答 いゝえ私が刑事部長室へ入つたのでその後から野崎捜査課長が刑事部長室へ入つてこられました、問 その際刑事部長室でどんな話があつたか、答 刑事部長から市長選挙に関し三つの注意を受け一つは候補者と候補者の奥さんとは一身同体ではないから候補者の奥さんが戸別訪問するとあとで問題になつて困る、だから事前に注意しておくという注意であり、一つはメガホン隊に使用しているメガホンに候補者の名前を書いてあるものがあるがそれは文書違反となるからという注意であり、一つは演説会に関する看板を前の日から掲げておくと違反になるからという注意でありました」とあり、警察局刑事部長林根王造氏と捜査課長野崎健二氏に呼ばれ、武田儀八郎夫人堀健二夫人の戸別訪問は不可ぬ、その理由は候補者の妻は候補者ではないからである、とわざわざ注意があつた。それで、同証人は、益々候補者本人の戸別訪問は当然差支えないものだと考へざるを得なくなり、確信を強めた。そして堀市長にも、その旨お話した。堀氏は勿論差支えないと思つたことであろうと証言しているのである。堀氏は本件が起訴された後、弁護人に対し「私は無実の罪に問はれようとしています。おはずかしいことに米の闇買をしたとか、買収をしたとか言はれ、ほんとうに残念です。しかし戸別訪問の事実だけはあるのです。しかし候補者の戸別訪問は罰せられないと聞いたものですから、私は違反にならぬと信じていましたが、南さん、武田さんも同様に信じていたと思ひます。どうも法律と云うものは恐ろしいですね………」と嘆げいたのである。さて原審第一公判における警察局刑事部長林根玉造氏と捜査課長野崎健二氏の証言は、(一)夫人のある武田、堀の二候補者について特に出納責任者と指定して出頭を命じたこと、(二)その目的は夫人の戸別訪問は差支えないとの風評があり、各夫人が公然と差支えないと信じて戸別訪問しているらしい風評があるので注意するためであつたことを証言している。この際吾々が注意すべきことは、その際、(一)候補者については何らの注意もなかつたこと。(二)戸別訪問は頭からいかんと言われたのでないこと。全面的に不可ないという話ではないこと。(三)出納責任者安部健作は、候補者本人の戸別訪問は差支えないと言われたものと判断したこと。(四)警察から帰つた阿部は市長には元より幹部の全部に対して、差支えないのは候補者だけだと明確に伝えたこと、である。多くの判例が本件の如き場合において無罪の裁判をしている。その例は枚挙にいとまがない程である。その論拠は、いわゆる期待可能性の理論である。「罪を犯ス意ナキ行為ハ之ヲ罰セズ」で無罪となるべき事案である。
これを漫然看過して有罪として公職選挙法を適用処断した原判決には事実誤認擬律鎖誤の違法がある。(次掲判例参照)。
「超過販売に付郡当局の承認ある場合は法律上差支へなしと確信して該行為に出でたる如きは、通常人にも違法の認識を期待し得ざる場合にして犯意ありと為すを得ない(昭和一七、八、二五台湾高等法院上告部、新聞四八〇三号)「凡ソ犯意ノ成立ニハ罪ト為ルベキ事実ノ認識アレバ足リ特ニ所謂違法ノ認識ヲ必要トスルモノニ非ズ。蓋シ罪トナルベキ事実ノ認識ニシテ存在セムカ、経験法則上、責任能力ヲ有スル通常人ニ於テハ、同時ニ所謂違法ノ認識ヲ有スルヲ普通トスベク、又ハ少クトモ之ヲ伴フコトヲ期待シ得ベキヲ通常トスルヲ以テナリ、従テ具体的ニ犯意ノ存在ヲ肯定スルニ付キテハ常ニ健全ナル社会ノ通常人ニ付違法ノ認識ニ対スル可能性ガ考慮セラルベク、個々人ニ付現実ニ違法ノ認識アリタルコトヲ必要トセズ、刑法第三十八条第三項本文ニ「法律ヲ知ラザルヲ以テ罪ヲ犯ス意ナシト為スコトヲ得ズ」トアルハ固ヨリ斯ル趣意ニ基キ同条第一項本文ニ対スル例外ノ場合ヲ規定シタルモノニ外ナラズ、而シテ犯意ノ成立ニ付現実ニ違法ノ認識ノ存スルコトヲ必要トセザル趣旨ガ敍上ノ如ク責任能力ヲ有スル通常人ニ付違法ノ認識ヲ期待シ得ルノ点ニ存スルモノナル以上、具体的ノ場合ニ於テ斯ル違法ノ認識ヲ欠如シ、而モ社会ノ通常人ニ付キテモ當該ノ場合、斯ル違法ノ認識ヲ期待シ得ザル場合ナルニ於テハ、犯意アルモノト為スヲ得ザルモノ、即チ斯ル場合ハ刑法第三十八条第一項本文ノ例外ノ場合タル同条第三項本文ノ場合ニ該当セザルモノナルヲ以テ犯意ノ成立ヲ阻却シ、同条第一項本文ニ所謂罪ヲ犯ス意ナキモノト為サザルベカラズ。換言スレバ、犯罪構成事実ヲ認識シツツ、敢テ之ヲ実行シタル者ト雖、之ヲ実行スルモ法律上差支ナシ。即チ斯ル事実ヲ実行スルモ法律上罪ト為ラズト誤信シ、而カモ其ノ誤信ニ付如上相当ノ理由アリト認メラルルガ如キ場合ニ在リテハ犯意ヲ阻却シ罪ヲ犯ス意ナキモノト解スルヲ相当トス。今之ヲ本件ニ付観ルニ」(中略)「種々方策ヲ構ジタルモ全然入手ノ見込ナカリシヨリ止ムナク郡下ノ砂糖販売業者ヲ招致シ、万策ヲ尽シテ其ノ入手方ニ努力スベキ旨督励シタルモ、尋常手段ニ依ル郡外ヨリノ購入ハ全然不可能ナリシヨリ、被告人ニ対シ基隆市台北市及ビ新竹州、湖口庄ヲ行先トシ、砂糖購入ヲ用務トスル同郡々守名義ノ旅行許可証明書(証第八号)ヲ交付シテ、郡外ヨリノ購入方ヲ求メルト共ニ同郡警察課長自ラ此ノ際ノ購入ニ付キテハ、指定価格ヲ超過スルモ止ムヲ得ザル旨申添ヘ且ツ同郡米穀配給組合代用食係長モ自己ノ職名ヲ記入シタル名刺(証第九号)ヲ手交シテ郡外ニ於ケル購求方ニ便宜ヲ与エ共々ニ事態緩和ノ応急措置ニ対スル協力ヲ慫慂懇請スル所アリタルヨリ、茲ニ被告人ハ右配給組合ヨリ資金ヲ借入レ先ズ湖口庄ニ於ケル同州中[土歴]街ノ宋秀耶共同経営店ニ至リテ事情ヲ具陳シ沖縄黒糖一万三千斤ヲ代金三千三百円ニテ買入レ、其ノ旨郡当局ニ報告シタル上、之ヲ前記ノ価格ニテ卸販売シタルモノニシテ、其ノ販売価格ハ指定価格ヲ超過シ居タルモ其ノ総利益額ハ、僅カニ百七十餘円ニ過ギザルノミナラズ、右売買ハ固リ被告人ノ私利私慾ニ出デタルモノニ非ズシテ、郡当局ノ半命令的懇請ニ因リ急迫セル郡下ノ砂糖配給難ニ対スル応急的処置ニ協力セントシタルモノニシテ、当時被告人ガ指定価格ヲ超エ、右程度ノ利潤ヲ得テ販売スルコトハ、郡当局モ之ヲ承認シ居タヲモノナレバ、被告人ハ深ク郡当局ヲ信頼シ、右ノ如キ承認アルニ於テハ右価格ニテ販売スルモ法律上何等差支ナク、決シテ処罰ヲ受クルコトナカルベシト確信シテ右所為ニ出デタルモノナルコトヲ認ムルニ十分ナリ。果シテ然ラバ被告人ハ右販売行為ニ付キ、其ノ認識ヲ有シ居タルモノナリト雖、斯ル行為ヲ実行スルモ法律上罪ト為ラザルモノト誤信シタルトキニ該当シ而モ其ノ誤信ニ付前敍相当ノ理由アリト認メラルル場合ナルコト明ナルヲ以テ、冐頭説示ノ理由ニ依リ本件所為ハ犯意ヲ阻却シ犯罪ヲ構成セザルモノトス。仍テ刑事訴訟法第三百六十二条ニ則リ被告人ニ対シ無罪ノ言渡ヲ為スベキモノトス」。県当局の黙認によつては未だ法定価格の変改なきも之に従へば違反とならずと信じたるは事実の認識を欠くものである(昭一五、八九、宇都宮地方、法律新聞四六二〇号)「被告人ハ県当局ノ黙認ニヨリ価格等統制令所定ノ昭和十四年九月十八日ニ於ケル価格ハ修正セラレタルモノニシテ、該黙認価格ニヨリ売買スルニ於テハ何等法令違反ト為ラズトノ意識ノ下ニ事件売買行為ヲ為シタルモノト解スベシト雖、斯ル黙認ニ依リテハ未ダ右法定価格ノ変改ナキコト論ヲ俟タズ。然レドモ凡ソ犯罪ノ成立ニハ犯人ニ於テ犯罪構成要件タル事実ヲ認識シ当該行為ヲ敢行スルヲ要スベク、犯罪構成要件タル事実ノ認識トハ単ナル事実ノ認識ニハ非ズシテ、違法性アル事実トシテノ認識ノ謂ナルトコロ、本件ニ於テハ被告人ハ自己ノ為シタル売買行為ノ認識ハアレドモ、之ヲ違法性アル行為トシテ認識シ居ラザルヲ以テ国家総動員法違反罪ノ構成要件タル事実ノ認識ニ欠クトコロアリト謂ハザルベカラズ。而シテ斯ル事実自体ノ認識ニ欠クトコロナク、其ノ行為ノ違法性ヲ意識セザルコトニ付過失ノ存否、軽重ヲ究メテ後決セラルベキモノ………被告人が行為ノ違法性ヲ意識セザリシコトハ何等過失ナキモノト謂ハザルベカラズ」法律の錯誤につき無過失なるときは犯意を阻却する。(昭和一五、一、二六、大審院第三刑事部判決、法律新聞四五三一号、法律評論二九巻六号、法律新報(集)七輯五号)「近時ニ及ビテハ法律ノ錯誤トハ即チ行為ガ法律上許サレザルモノナルニ拘ラズ許サレタルモノト信ジタル行為ノ違法性ニ関スル錯誤トシテ解セラレ、法律ノ錯誤ト雖モ、其ノ錯誤シタルコトニ付キ、過失ナカリシトキハ故意ヲ阻却シ、過失アリタルトキハ情状ニ因リ其ノ刑ヲ減免シ得ルモノト解セラルルニ至レリ」その他大数の判例(拙著日本経済刑法概論四三〇頁以下。佐伯千仭、期待可能性の理論等御参照)あり、凡て本件の場合に適切に該当する。
弁護人宮林敏雄の控訴趣意
原判決は左記の事由より事実の誤認あるのみならず法律の適用を誤まつた違法あるものであつて右は孰れも判決に影響を及ぼす事明らかなるものなりと恩料する。即ち、
第四点原判決は判示第三として自己に投票を得る目的で同年五月二十二日頃、親族、平素親交の間柄にある知己其の他密接なる間柄に在るもの等法定の除外の場合に該当しない別紙第一表記載の如き牧明等十八名の選挙人を戸別訪問したものとし、右は被告人の検察官に対する供述調書、証人牧明、大坪徳太郎、大和吉郎、蝋野外之、大野しげ、山田花子、石瀬保吉、油井よし子、塚本いと、羽岡亀吉、小林つたの各証言、牧明、大野しげ、亀田きみ子、庄川一雄、鍛冶松太郎、高橋幸平、石黒庄一、小野喜蔵、大沢秀二、井東文子の検察官に対する各供述調書等を以てしておる。仍て其の証拠に付按ずるに牧明は第五回公判に於ては「堀さんが来られた時私は私方の玄関で子供のスケートを修理して居たので玄関の入口の戸は開けてあつたのですが堀さんはその玄関入口に立つて別に何も謂はれずに黙つてお辞儀をしておられました。問、被告人が証人方でよろしくお願ひしますというた場所は玄関の内側かそれとも外側か。答、私方の玄関の前はすぐ往来になつて居るのですが堀さんがその時立つておられた場所は往来だつたと思ひます。問、その往来と云うのは証人方玄関先の雨落の内側か外側か。答、堀さんが挨拶に来られたのは先程申し上げました様に私は一生懸命に子供のスケートを修理しておりましたので御尋ねの様な細い点は見ておりませんでしたが私の思いではその様な場所は雨落のすぐ外側の道路上であつたと思ひます」と供述するところである。即ち牧明方に於ては被告人は玄関へは這入らずに単に其の家の構造上道路に於て挨拶したに過ぎないのである。法律上戸別訪問を処罰するのは有権者戸々宅を訪問し投票依頼をすることは其の事柄が隠秘の中に行はれるが故にあるのである。茲に個々面接の不処罰は投票依頼はあるが事柄が公然なるが故に他に不正の生ずる危険性のなきが故である。此の法律規定の精神に照らすならば公然のものは処罰の対象外とすべきであり尠くとも公然たり得るものは戸別訪問と目すべからざるものと考へなければならぬ。此の観点から牧明の場合を考慮するならば被告人は牧明方玄関へも這入らず単に同家前道路上に挨拶しておるに過ぎぬものであり、夫れは個々面接と目し得るかも知れぬが決して戸別訪問と目すべきものではないのである。原判決は牧明方前道路上の被告人の挨拶行為を以て直ちに戸別訪問なりと即断しておるものであつて事実の誤認も甚だしいところと謂はなければならぬ。
第五点原判決は審判の請求を受けた事件に就て判決をしておらぬ違法あるものである。即ち被告人に対する食糧管理法違反公職選挙法違反被告事件は昭和二十七年八月五日起訴せられておるのである。其の起訴状記載の公訴事実第三に徴するに「選挙に関し投票を得る目的で同年五月二十二日頃公職選挙法所定の間柄でなく且選挙人である別紙第一表記載の同市定塚町千二十一番地牧明等十八戸及同町内約百三十戸を訪問し同人等に対し夫々自己に投票せられ度旨依頼して戸別訪問を為した」とするところなるが原判決は単に「別紙第一表記載の如き牧明等十八名の選挙人を戸別訪問し」となしておるに過ぎない。而して前記起訴状記載の「及同町内約百三十戸を訪問し同人等に対して依頼した」点に関しては判決文に於て何処に於ても判断がしてないのである。戸別訪問は連続して数人を訪問したるも包括一罪として処断すべく連続犯として処断すべきものに非ざる事は判例(昭和四年(れ)第二四一号同年十月二十五日大審院判例)とするところではある。然し乍ら判例は戸別訪問罪の本質を複合的犯罪とは認めてはおらぬのである。数戸を訪問すべき意図ある第一着手の単なる一戸の訪問も亦戸別訪問罪を構成するものとするのである(昭和七年(れ)第八七五号同年九月五日大審院判例)。即ち戸別訪問は包括して見る法律上の取扱を為すと同時に然も個々別にも之を観念せられるものであると判例は示しておるのである。此の点から所謂結合犯である強盗罪に於ける財物奪取と手段としての暴行脅迫の数量の多寡とは自ら其の選を異にするのである。斯かる場合検事の起訴に係る約百三十戸の訪問につき判断をせざるは明かに違法なりと思料せられる。約百三十戸の訪問夫れ自体犯罪を構成する事は明かなのであり夫れが牧明外十八戸と合一せられなければ犯罪とならなければならぬものでない事は原判決文上明かである。右の如く原判決は審判の請求を受けたる事件について判決をしない事にきするのであつて到底違法たるを免れないのである。
第六点被告人の各戸別訪問は夫れが犯罪なりとせられるとしても右は左記の事由により責任阻却をさるべきである。改正前の公職選挙法第百三十八条第一項の規定により戸別訪問は禁止せられて居るところ同項但書に於て候補者の特定の場合即ち親族、平素親交の間柄にある知己、その他密接なる間柄に在るものの間の戸別訪問は許されて居るのである。此の法律の施行せられて居る間の社会的の実情を観ずると候補者丈けは戸別訪問を許されて居ると同様となつて居た事は裁判所に於ても顕著な事実である。之れを本件記録に按ずるも戸別訪問の各被問者方へは各候補者共々に戸別訪問しておる丈けではなく捜査官に於ても「当時候補者の夫人は候補者が当時戸別訪問について許されて居たところの公職選挙法第百三十八条但書の規定が候補者夫人にも適用あると解釈して候補者と同じ様に戸別訪問をして居ると謂ふ風評をききましたので防犯的見地から候補者の責任者を呼んで「立候補夫人の戸別訪問は許されないから」と注意した」とし(第十一回公判に於ける林根五造の証言)で居り、其の反面候補者に於て為す戸別訪問は之を問題にせざるが如き口吻が公の立場から為されているのである。社会の事情は右の如くして公の立場からも右の如しとすれば被告人に於ては候補者に於ては戸別訪問が許されたと解するは人情の自然と謂はなければならない。斯る場合被告人に対し其の戸別訪問をせざる事を期待する事が出来るか如何か。期待可能性のないところに責任なしとの責任阻却の法理を発見せんとするのが近時刑法学界の通例とするところ本件の場合行為者標準説をとるものと謂へども本件被告人に対し戸別訪問をせざる事を期待することが出来ないのである。而して国家標準説により責任判断を下す者を国家でありとするも前記公職選挙法第百三十八条第一項但書は法的に何等の意味のない(親近者等の戸別訪問を許すことによつて、誰れも利益を受けず又許さなければならぬ社会的需要はない、之れが新公職選挙法で削除になつた理由である)事に鑑みるならば判断の基準を国家理念に於ても被告人に対し戸別訪問をせざる事を期待する事が出来ないものと解すべきである。吾が法衙に於ても過失責任の範囲に於て期待可能性の思想を認めておるものがあるのであり其の代表的なものは所謂第五相島丸事件である。(昭和八年十一月二十一日大審除判例)即ち法解釈の趨勢に鑑みるも期待可能性なき処に責任を認むべきではないのであり(昭和八年十一月三十日大審院判例、昭和九年三月三十一日大審院判例)本件被告人の戸別訪問に就ても同断とされなければならぬのである。即ち戸別訪問に就ては期待可能性なきの故を何て責任阻却するとすべきである。